

今回のお題
自由が丘1号踏切より田園都市線自由が丘留置線を望む
当時はまだ新玉川線(現・田園都市線二子玉川〜渋谷間)が開業する前であり、現在の大井町線は田園都市線の一部であった。そしてその顔ぶれはバラエティーに富んでいた。
1974年頃の撮影と思われる。
出題者 こーちゃん
撮影場所:自由が丘1号踏切より大井町線自由が丘駅留置線を望む 2005年6月6日撮影
今回のお題の場所は,kochanから写真を見せられた段階ですぐにわかった.留置されている車両こそすでに存在しないが,大井町線自由が丘駅西側の留置線を自由が丘1号踏切から撮影したものだ.写真に写り込んでいる「フコク生命」の看板は今も健在であり,撮影場所の特定は比較的簡単ではあった.だがしかし,撮影にあたっては大きな問題があったのである.それは2005年5月下旬,発売になった首都圏の民鉄各線の時刻を網羅した時刻表を見て気がついた衝撃的事実によるものだった.
「2005年6月10日のダイヤ改正で,自由が丘留置線の車両留置本数が1本になる」
となるとモタモタしていることはできない.お題の写真から見て,撮影した写真の列車留置本数が1本では,およそ「コダワリ」のある写真とは言えない.しかし3本留置の写真であっても,留置車両のラインアップが適当ではこれまた「コダワリ度」が足りない.ここはやはり,8000系3世代そろい踏みを目指すべきだろう.となると,3本留置となるのは初電〜朝7時過ぎと夜22時〜終電という時間帯であるので,撮影するのは朝方しかあり得ない.そんなわけで,その日以来会社からの帰宅ルートを大井町経由に変更.列車の先頭にかぶりつき,すれ違う列車の車種と運行番号を確認してその晩の自由が丘留置線の留置車両をチェック.8000系3世代そろい踏みで留置となる日を待ったのであった.
2005年6月5日夜,ついにその日はやってきた.自由が丘駅留置の編成は8005F,8640F,8091Fの3本,しかも大井町駅留置に9107Fが入るという好運用になる.翌朝はやる心を抑えつつ,初電で自由が丘駅へ向かう.果たして留置線には左側から8091F,8640F,8005Fのナイスな並びで車両が留置されていた.画面右上の「フコク生命」の看板と,中央左側のオレンジ色の建物,そして敷地左端の位置を参考に踏切上で慎重に位置を定め,定点撮影は完了.コダワリ度としてはまぁまぁの出来であろう.
その後ついでに,やってきた9107Fも絡めて,大井町線走行車種そろい踏みの写真も撮影しておく.そう考えると,ベストであると考えられるのは,留置線左側から8000系,8500系,8090系と並ぶ並びだったのだなぁ,とも思えるが,まぁそこは贅沢というものであろう.
2005年6月10日のダイヤ改正後,自由が丘留置線に留置となる編成は1本のみとなり,代わりに溝の口駅4番線と梶が谷駅Y線に1本ずつ大井町線車両が夜間留置されるようになった.そして自由が丘留置線は5番線,6番線が撤去され,珍しかった三叉分岐器も撤去されてしまった.留置線跡地はフェンスで仕切られ何やら工事も始まっている.今後の周辺状況の変化も含め,またしばらくしたら撮影に出かけねば,と思っている.
