目蒲線
千束−大岡山間
1989年3月
  

今回のお題

1989年3月,目蒲・池上線から旧3000系車両が引退した. 運用最終日の前日と当日には,引退する3000系3両編成を2編成併結した 6両編成を組んで奥沢から鷺沼や長津田へ疎開回送が行われた.

そしてこの疎開回送が1本運転されると,それと入れ替わりで それまで鷺沼や長津田に留置されていた7700系が1本奥沢へ送り込まれた.

つまり,今回のお題はその疎開回送の撮影ついでに 旧3000系を駆逐する憎たらしい代替車両が大井町線から目蒲線へ転線してくる まさにその瞬間を撮影したものである.

まだ写真といえばフィルムで撮影するのが当然であった当時, フィルムの無駄遣いだなー,と思いながら撮影した一コマであるが, その7700系も目蒲線すらもなくなった今日, こんなんだったっけなぁ,としみじみと当時を思い出すのであった..

出題者 たけぞう




お題からうかがえる風景は「大井町線から転線する回送7905F4両編成」で、大岡山駅目黒側の跨線橋からの撮影と分かった。

 幌付き7700系とは、さすがたけぞう氏。なかなかネットでは拝見できないレア写真である。
現在も右側の地面と線路はほぼ同レベルの高さと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。画角を合わせると、鉄柱が画面に支配的に目立つこととフェンスが写りこむ為、2mほど下がり、数段階段を上がったところで撮影した。

 さて、お題の左側に写る東京工業大学百年記念館から右側の東急病院を微かに写す画角を決めたところで問題が生じた。 やはり当時と線路レベルが違い、現在存在するフェンスが画面にかかっているのだ。画面構成の基本からすると、あまり好ましくないのだが、 線路面から離さざる負えない状況であり、今回のお題は、見た目以上に困難だ。
もう一つ大きな問題がある。お題に写る路線は、大井町線と目蒲線であり、現在は地下化された駅舎手前目黒側の路線は目黒線となっている。また、残念なことにお題の7905編成は同線に入線しておらず、別形式の撮影となる。
ならば、目黒線に在籍する第5編成を狙うことにした。番号の美しさから、5185Fよりも3005Fとした。また、当時には無 かった「急行」とすることにした。

【今回のお題】
回答者 こーちゃん

撮影場所:跨線橋から目黒線大岡山駅目黒側を望む 2014年12月撮影

 写真を見ていると、「紺色屋根」のマンションには給水タンクがあったようだが現在は撤去され「あずき色屋根」になっていたり、銀杏の後方に写るマンションには携帯電話基地局、道路にはPHS基地局があったり、時代の移り変わりが覗える。

 推測ではあるが、お題撮影当時には、地下化された駅舎上部にビルが建築されることは予想できたであろうが、 「高さ」への推定には及ばなかったのであろう、お題通りの画角ならば「東急病院」の看板が切れてしまうのだが、収まりが良いので、今回は画面に入れることにした。 それにしても、私は東急病院が大岡山駅直上に移設されるとは夢にも思わなかったのだが、このような時代の推移が楽しめるのも「定点」の醍醐味なのであろう。
 思いの外、苦労した定点大作戦、目蒲線から分離した目黒線は、地下鉄2系統と直通運転が開始された事により、同線に東京メトロ・都営地下鉄・埼玉高速鉄道からの電車が6両編成で行き来する都市の大動脈へ変貌し時の移りを感じる。

追記
 留置からの回送で幌付き4両編成7705F組成後である事は理解出来たが、目蒲線4両対応完了時期による3000系引退と同時期の回送へのこだわりである事に気づかず、今回は惨敗感を感じてしまう。 しかし、東横線8590系登場による玉突き転属の結果(本質的には起因)であるので、時間があればこれらの現象(3000系引退〜高性能車導入)を研究できればまとめてみたいところだ。(こーちゃん)

定点大作戦